mogumogu’ diary

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お札にのる人たちの基準💶💴💵💷

どうも!うさこですꪔ̤̮‪

 

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この間お金の整理をしていたらふと

お札のデザインってもうすぐ変わってしまうん

だなということを思い出しました😳

 

現在、一万円札が福沢諭吉

五千円札が樋口一葉・千円札が野口英世です✨

 

財務省によると紙幣に描かれている人物には

基準があるようです✨

 

①偽造防止の観点から、なるべく精密な写真を入手

できること

②肖像彫刻の観点からみて、品格のある紙幣にふさ

わしい肖像であること

③肖像の人物が国民各層に広く知られており、その

業績が広く認められていることといった観点を踏ま

えて、明治以降の人物であること

 

だそうです✨

 

「お札にのりたい!!」と酔っ払った勢いで

豪語する人をたま〜にみかけます笑😂

 

たしかにお札にのったらすごいですし、

これまでにないくらいめちゃくちゃ

自慢になりますよね✨

ただお札にのるということは上記にも

記載したように誰もが認める大きな偉業

を成し遂げた方で一体どんな人が

どんな偉業を成し遂げたのか

改めて気になるところではあります

 

今日は現在のお札にのっている人たちに

ついて深堀していきます🚵‍♀️

 

 

1万円札:福沢諭吉

 

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(https://www.google.co.jp/amp/s/www.yomiuri.co.jp/culture/20201213-OYT1T50119/amp/)

福沢諭吉といえば、「慶応義塾大学」を創設した

ことで有名です。

江戸~明治時代に活躍をした人物で

下級武士の子として大阪にある中津藩蔵屋敷

生まれました🍀

14歳の時に塾に通い始め、19歳で長崎にでて

蘭学と砲術を学び、その後大阪の蘭学者である

医師の緒方洪庵の塾で学ぶようになります。

お金がなく途中からは塾に住み込みして、

塾長にもなります。

 

ちなみに蘭学とは

江戸時代にオランダを通じて日本に入ってきた

オランダ語の書物で、西洋の学術を研究する学問です🇳🇱

 

23歳の時に、江戸で蘭学塾を開くことにしました。

日米和親条約をきっかけに横浜にたくさんの外国人

が訪れていましたが、みな英語ばかり使っていて

オランダ語が通用しないことにショックをうけたようです😳

 

そこで福沢諭吉は英語とオランダ語を対訳した

辞書を基に独学で英語を学び始めました。

 

23歳の時にアメリカに渡り、

日本とアメリカの文化の違いに

たいそう驚いたようです。

アメリカでは、英語の辞書を購入し、

帰国後に単語集「華英通語」を刊行し塾の教育を

英学に切り替えました。

 

33歳の時に江戸・築地から港区に蘭学塾を移し、

当時の年号にちなみ「慶応義塾」が誕生しました。

塾生から毎月授業料を取り入れた学校の運営は

これが初めてです。

 

人は生まれながらに上下に差はない。

貧富や身分などで差ができるのは、学問があるか

ないかだ。

 

「天は人の上には人をつくらず

人の下には人はつくらない」

という名言を残しています。

 

 

五千円札:樋口一葉

 

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(https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/cat-exh_rend/443/)

 

樋口一葉は明治時代の小説家で、

森鴎外幸田露伴などにも絶賛された「たけくらべ

でお馴染みです。

 

東京の現在の千代田区にあたる内幸町で

生まれ育ち、小学校の成績はトップと学問では

かなり優秀だったそうです。

 

しかしお母さんからはひどく反対されていたよう

で、「女に学問は不問」ということで樋口一葉

学校を退学してしまいます。

 

その後、父は知人の紹介により、

「萩の舎」という歌塾に入門し和歌の創作に

打ち込み始めます。

しかし自身の兄や父を亡くしたことをきっかけに

一家を養うべく、「小説」の道に進んだのです。

 

19歳で小説の勉強を始め、雑貨屋で経営しながら

苦しい生活を送りながらも一生懸命、

小説を書き続けた結果、たけくらべを含め、

多くの作品を発表します。

この時期を「奇跡の14か月」と呼ばれています。

 

しかし、結核を患ってしまいわずか24歳という

若さでこの世を去ってしまいます。

 

千円札・野口英世

 

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(https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/312/)

 

野口英世福島県出身で子供のころ

いろりに落ちて左手に大やけどを覆います。

しかし、手術により医学のすばらしさを実感し、

自ら医師の道に進むことを志しました。

 

医師になるべく勉学に励みますが

左手が不自由だったため、医師ではなく

研究者を目指し、次の千円札の顔になる

北里柴三郎が所長を務める「伝染病研究所」

の助手になります。

 

様々な研究で偉業を成し遂げ、

1927年に周囲の反対を押し切り、

アフリカへ渡ります。

黄熱病の研究に没頭していましたが、

自ら黄熱病にかかって

しまい51歳で亡くなってしましました。

 

 

それぞれ生きた時代も職業も異なりますが

この三人に共通していることは「果てしない努力」をしていることです。

特に「学ぶ」という面に関しては

三人とも意欲的で誰よりも極めてきた人たち

なんだなと感じます。

 

大きな偉業を成し遂げる人は

たくさんの努力とたくさんの経験を自ら選んで

突き進む人です。

才能があったからやったというよりも

勤勉に、そして努力することは当たり前の

前提でやるからこそ

たくさんの人に勇気と希望を与えています。

 

2024年からお金のデザインも変わり、

渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎と豪華な面々が

彩りをそえてくれます😊

 

お札にのるほどの偉業を成し遂げた方たちの人生を辿っていくのはとても興味深いなと思います☺️